こんにちはー意識低い看護師のはむです
看護師の皆さんは学生時代、精神看護の講義でこのようなことを学びませんでしたか?
「精神科での対応は肯定も否定もしないようにする」
おそらくこのような事を教えられるんですよね
んで妄想の訴えのある患者さんに対して
「ああ!そのようなことありましたね!」は肯定し妄想を強化させる可能性があるのでNG
「それは妄想ですよ」は自尊心も傷つけて関係構築の妨げになるからNG
「あなたはそのように思っているんですね」は肯定も否定もしていないし、患者さんの訴えを受け止めてるからOK
みたいな例文を見たこともあるのではないでしょうか
そしてこの例文を見て「なんか、冷たくね?」「え?そうやって返して、そこからどう話を続けるの?」「そんなん絶対口滑らすじゃん」「もう、意味分かんね」とか思いませんでした?私は思いました。
そして精神科実習で否定も肯定もしない返答をしたのちに、患者さんにさらに畳みかけられ、それ以上の否定も肯定んもしない対応をどうしていけばいいのか迷宮入りとなり、患者さんのいる場から逃げるように立ち去った経験のある方も多いのではないでしょうか
そんでもって「肯定も否定もしない対応」は難しい、苦手だという意識を持った方も多いと思うんです、
ということで今回はその「肯定も否定もしない対応」について意識低く書いていきたいかなと思います
目次
オペラント条件付け
さて、「肯定も否定もしない対応」について語る前に、行動主義心理学の基礎的であるオペラント条件づけってやつについて少しだけ触れようかなって思います
小難しい言葉出てきましたね!でも大丈夫!書いてる私もそんなに知らないので意識低い事しか書けません!
さてこのオペラント条件付けとか言う、看護師はあんまり聞いたことの無いようなやつを簡単に言いますと
動物がある行動(オペラント行動)をした後に刺激を与える、または消失させることでその行動の起きる頻度を変える学習のこと
をいいます。分かりにくいっすね。もっと分かりやすく言うと
飴と鞭って捉えてもらったらいいんじゃないかなって思います。厳密には違うと思いますけど。
あれです
・子どもが皿洗いして、親に褒められたから、さらに皿洗いをするようになった
・子どもが皿洗いして、褒められなくなったから、皿洗いをしなくなった
・子どもが皿洗いをして、親に何をしているのか馬鹿にされたから、皿を洗わなくなくなった
・子どもが皿洗いをして、親に何をしているのか馬鹿にされたなくなったから、皿を洗うようになった
こんな感じのイベントをオペラント行動なんて言います。
このオペラント行動には4行動パターンに分かれてましてこれを行動随伴性の4分類とか言います
正の強化:好子出現による強化
負の弱化:好子消失による弱化
正の弱化:嫌子出現による弱化
負の強化:嫌子消失による強化
に分けられますが、それでも意味分からないですよね
軽く説明します
強化:行動が増える
弱化:行動が減る
好子:行動の強化を促した刺激
嫌子・罰子:行動の弱化を促した刺激
正:結果を得る
負:結果を失う
って捉えてもらったら結構です。
んで上の例文を当てはめると
・子どもが皿洗いして、親に褒められたから、さらに皿洗いをするようになった
は褒めるという【好子出現】で皿洗という行動が得られた【正】ので【正の強化】
・子どもが皿洗いして、褒められなくなったから、皿洗いをしなくなった
は褒められないという【好子消失】で皿洗いという行動が失われた【負】ので【負の弱化】
・子どもが皿洗いをして、親に何をしているのか馬鹿にされたから、皿を洗わなくなくなった
は馬鹿にされるという【嫌子出現】で皿荒いという行動が失われた【負】ので【負の強化】
・子どもが皿洗いをして、親に何をしているのか馬鹿にされたなくなったから、皿を洗うようになった
は馬鹿にされなくなったという【嫌子消失】で皿洗いという行動が得られた【正】ので【正の弱化】
ということになります
精神科看護師はこんなこと分析しつつ患者さんとコミュニケーションをしているわけです
ちょっと分かりやすくなりましたかね!でも私の言いたいことこれじゃありません。
オペラント消去=否定も肯定もしない対応?
さて、【オペラント消去】ってのがあります
これは【過去に強化された行動が強化されることが徐々に無くなっていき】って捉えてもらっていいんじゃないかなって思います
さっきの皿洗いの子どもで例えると
・褒めて皿洗いをしていた子供に対して、褒めるのを辞めた時、次第に皿洗いしなくなっていく
という状態の事を言いますかね
んで、この状態が起こるのは感覚的に皆さん容易に想像がつきますよね
何となく皆さんが「肯定も否定もしない対応」という字面と対応例に関して違和感を持つんじゃないかなって思うんです
「肯定も否定もしない対応」って字面と対応例だけ見れば好子も嫌子もない、患者さんに対してもない無味乾燥した対応に見えてしまいませんか?
「肯定も否定もしない対応」が【オペラント消去】に見えるんじゃないでしょうか?
でも、何となく感覚的に「精神科看護では治療的コミュニケーションを用いて患者さんに介入していく」っていうイメージもあります
それが皆さんが「肯定も否定もしない対応」というものに関して混乱してしまうのではないのかなぁって私は思います。
「肯定も否定もしない対応」を考え過ぎなくても良いと思う
例えば患者さんの妄想に対して全肯定すれば、妄想が促進される結果になるかもしれません
全否定してしまえば、治療的関係の構築は困難になるかもしれません
んでもこの「肯定も否定もしない対応」というものに対して、混乱するくらいなら、私はそんなに考え過ぎなくても良いんじゃないかなって思っています
この「肯定も否定もしない対応」が精神看護の敷居を上げるくらいなら、そこはひとまず置いておいた方が良いんじゃないかなって思っています。
精神科看護師としてはどうかと思いますけどね
ただ、そこを生真面目に取り組んでいる精神科看護師もそこまでいないのかなぁといった印象です。知らんけど。
だから、あんまり考えこみ過ぎず【肯定も否定もしない対応】と向き合っていきましょうね!
またね!
意識期低い看護師の「肯定も否定もしない対応」
私の述べたいことはすべて言い終えたのですが、それじゃあ「結局それってどうすればいいんだよ!」という声が聞こえてきそうですね
なんで、教科書がそんな中途半端な対応例しか載せてくれないのか
その答えは明白ですよね
「患者さんによって違うから、具体的にこのような対応をしましょうねとは言えない」ってことです
精神科看護って面倒くさいですね、答えなくて。
ただ、それでもう説明投げちゃうのも読者の期待に反してしまうと思うので、私の対応例を1つだけ軽く載せておくことにします
例えば
■外界世界に当然存在していると患者さんが思っている(病識がない)幻聴に関する訴えをされた場合
まずその患者さんに対して「その声が聞こえてきてどう思った?どう感じた?」と、その幻聴に対して患者さんの感じている感情について、さらに尋ねることが多いです。
んで、患者さんの感情の表出が出来た後にその感情に対する共感するなりをして、患者さんを受け止めているという意思表示を患者さんにすることが多いです。
次に患者さんに「今聞こえているものは無くなってほしい?どうしたいと思っている?」とその幻聴に対する本人の意向について尋ねます
そこで本人の意向に沿うかどうかを判断してから介入をどうしていくか決めていくことが私は多いです。
病識の無いまま幻聴が固着化した患者さんに対してもできるだけそのように対応しようって心がけるようにしています
幻聴何ぞ声掛けでパッと収まるものでもありませんし、患者さんが実際に聞こえているものは幻聴であると伝えても、中々それが幻聴であるということは患者さんは受け入れることが難しいことが多いです
わりと【今聞こえているものが幻聴と理解できる】という結果を得ようとする人もいますが、この際に得るべき結果はそういうことじゃないんですよね
それよりも「この看護師さんなら私の話を聞いてくれる」と思ってもらえるようになるという結果を得ることが大切なのかなぁって思います
そこで訴えが増えることで症状の増悪を懸念される人はいますが、逆に症状についての訴えの頻度も症状のモニタリングに一躍するのかなぁと私は思ってます
もしかしたら上記の対応を【肯定】と捉える方はいるかもしれませんが、ぶっちゃけもう受け止め方は人それぞれなのかなと思います。
具合を掴みつつ、全肯定も全否定もすることなく具合を掴んでいき、治療的コミュニケーションを行っていくことが大切なのかなあと勝手に思っています
まとめ
今回は「肯定も否定もしない対応」というものについて書いてみました
あくまで持論ですが、「肯定も否定もしない対応」が苦手だなあと思う人は、良かったら参考にしてみてください
またね!
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