我々精神科看護師がよく直面する場面として
患者さんに裏切られる
というのがあります
それって身体科の看護師さんもよく直面する場面ですよね
患者さんに裏切られた看護師さんは、憤り・悲しみ・失望します
今回は【患者さんに裏切られないための方法】というテーマで記事を書きたいと思います
目次
精神科看護において患者さんに裏切られる場面とは
裏切るとは味方を捨てて敵方についたり、約束・信義・期待に背いたりすることのことを言います(goo辞書)
患者さんに裏切られる場面とは患者さんを信用した援助を行った時、その信用を損なわれる行為をされた時なのかなと思います
具体的に精神科で多い患者さんに裏切られる場面とは
・拘束中の患者さんに「再拘束の抵抗をしないので、トイレに行かせてほしい」と言われ、拘束から一時開放したら、暴力を振われた
・紙を切るのにハサミを使いたい、「必ず返すから」と言われ、ハサミを貸したら自傷されてしまった
・服薬自己管理を申し出た患者さんに、管理をしてもらった時、トイレに薬を捨てられていた
・夜勤帯で、「誰にも言わないから少しおやつを食べさせて」欲しいと言われ、ついおやつを渡したら、次の日に「あの看護師さんはおやつをくれたのに!!」と言われる
・親族への電話制限がかかっている患者さんが「友人に電話するから」と述べテレホンカードを受け取り、親族に電話されまくる
・単独外出不可で離院リスクの高い患者さんが「外の空気を吸いたいから、逃げないから」と述べ、看護師同伴で外出したとたん、看護師に暴力を振ったあげくに逃亡する
・詰所でコップ預かりをしている患者さんが「1杯だけ飲ませてほしい。絶対に飲み過ぎないから」と述べたため、コップを渡したら、目の離した隙に5リットル以上の水を飲まれていた
などなどあるのかなと思います
精神科看護の場面ではわりとあるあるじゃないですか?
特に年数の浅い精神科看護師とかだと「先輩たち、患者さんたちに厳しいなあ、私は優しく看護をしたい」と思い、患者さんを信用して対応した挙句に、患者さんに裏切られると言った事象は発生しやすいのかなと思います
そして、患者さんを全く信用できなくなり患者さんにただただ厳しいだけの精神科看護師が生まれるというのも良くある話なんじゃないでしょうか
そりゃあ、もう裏切られたくないですもんね。
傷つきたくないですもんね。
手っ取り早いですよね。
患者さんの事を信頼しなければ裏切られることもありませんからね
そしてこの現象、おそらく身体科の看護師でも起こり得ますよね
人と人が関わる職業において、裏切りという言葉は常につきものなんだと思います
患者さんに裏切られないための方法
かといって、患者さんを信用せずただただ厳しい看護師さんになっていくのは、私としてはどうかなとも思います
患者さんとの治療的関係の構築が看護師が患者さんにできる主たる介入だと思うのですが、もちろんその治療的関係の中にも【信用・信頼】というワードは含められています
だから、「患者さんに裏切られたから患者さんのことを信頼しない」なんて思考停止をしてしまった時、果たしてそれは精神看護をしていると言えるのでしょうか?
ということで、思考停止しないためにも、患者さんに裏切られないための方法について書いていきたいと思います
共感はしても、同情しない
患者さん裏切られた経験のある看護師さんに多いのは【共感と同情をごちゃまぜにしている】ことですよね
どちらの言葉も、他者の悲しみや苦しみ、怒りなどに反応する、ぱっと見似たような用語なのですが
共感:相手の感情を理解すること
同情:自分が相手と同じ感情となること
と意味には大きな隔たりがあります
私はよく友人などに相談されるとき「あなたの感情は受け止めることはできますが、受け入れることはできませんよ」と伝えることがあります
この言葉を言い換えると「共感は出来るけど同情はできない」になります
看護において、患者さんの感情をアセスメントすることは必要ですよね。特に精神看護においては顕著です
しかし、相手と同じ感情になることは看護の範疇にはありません
看護師が患者さんに同情してしまうと「かわいそうだ。何とかしてあげたい」という思考過程に陥り「私と同じ気持ちを抱いている患者さんの事を信用しよう」という考えに至ることが往々にあります
だから上記の場面で書いたように普通に考えたら【裏切られるリスクの高い場面】において、リスクの高い援助を行ってしまうといったことが起こるわけです
「かわいそう」を援助理由にしない方がいいですね
操作に惑わされない
患者さんが看護師に対して好意を持つことはありますよね(陽性転移)
ある程度の陽性感情は患者ー看護師を構築する上で、重要なものとなってきます
そりゃあ、嫌いな人と関係を構築したいと思う人はいませんもんね
ですが、患者さんの中には「自分が好意に思っている看護師さんから好意を持ってもらいたい」と思う患者さんもいるわけです
これは普通な反応ですよね。
ですがさらに「好意を持った看護師さんから援助を引き出したい」と思う患者さんもいます
俗に言うと投影同一化ですよね。言う事聞いてくれそうな看護師から援助をしてもらいたいために、陽性感情を看護師に向ける操作の一種です
この操作を受けた看護師さんは「私に好意を向けているのだから、ちゃんと私が信頼しても、その信頼を返してくれるであろう」と思い込みます
んで、援助を引き出せた患者さんはそれを利用して、時として看護師を裏切る行為を行うわけです
そんでもって、看護師が裏切られたと述べると「あなたのことを信頼していたのに!!!」と価値下げ(防衛機制の一種)を食らって、関係性が一気に悪化するわけです
患者さんからの陽性感情には十分注意しながら介入をしていきましょう
操作されてしまうと、適切なアセスメントにも影響が出てしまいます
優しさと甘さを混同しない
患者さんから裏切られてしまうことの多い【優しい看護師さんでありたい】と思う看護師に【優しさと甘さをごちゃまぜにしている】人は多いのかなと思います
優しさ:中長期的な目線で、相手に幸せになってほしいと思う事
甘さ:「相手に恨まれたくない」「相手に優しい人と思われたい」とその場しのぎで思う事
この二つも似たような言葉ですが意味に大きく隔たりがあります
優しさは相手に向けて、甘さは自分に向けての行動です
この意味をはき違えると痛い目にあうことが多いです
「患者さんから嫌われたくない、患者さんから好かれたい」という思いから、リスクアセスメントを行わずして患者さんに援助を行ってしまう看護師さんなどは裏切られてしまう事は多いと思います
患者さんに「私がしてあげたって言うのは内緒だよ!!他の看護師さんには言わないでね」なんて言う人がよくいますが、まさしく優しさと甘さを混同している人ですよね
そんな事情、患者さんからしたらしったこっちゃないので、そりゃあ裏切るよなと思う次第です
精神看護において【患者さんには統一した対応をしよう】というスローガンが掲げられることは多いと思いますが、このような看護師さんがいるという事が背景なのかなって勝手に思っています
患者さんに「あなたの事を信頼できていない」と伝える
患者さんが援助できない援助を求めてきて、どうしても納得されない時は「あなたが私を信頼しているか分かりません。でも私から見ると私は信頼してもらっていないんじゃないかと見えます。そしてあなたの事を私は信頼できていないません」と私は伝えています
この声掛けは賛否両論ではあると思いますが、相手に信頼できていないことを伝えるのも関係構築の上では非常に重要なんじゃないかと私は思っています
もちろん、場面によっては使ってはいけない言葉ではありますけどね
自己肯定感低下しまくっている患者さんに「信頼していない」と軽率に述べたりするとさらに低下することは予想されますし、怒りに震えている患者さんにその言葉を言っても火に油を注ぐだけなのかなとも思います
信頼される看護師になるように立ち振る舞うことも重要
あと、患者さんに「信頼していない」とだけ伝えるのは勿論NGです
ちゃんと
・私はあなたに信頼してもらえるように援助する旨を伝える
・信頼してもらえるような立ち振る舞いを行う
はセットかなと思いますのでそれを忘れないようにしましょう。当たり前のことだと思いますけどね
「あなたの事は信用しないけど、私の事は信用してね」というスタンスの方は多いかもしれませんが、少なくともそのスタンスでは信用は得られないです
あれですよ?「何でも言う事聞いてくれる甘い看護師」と「自分の治療において信用できる看護師」ではえらい違いだと思いますので、その辺を考えて患者さんに関わっていく必要があるのかなと思います
無条件に患者さんに信用される看護師はいないです
「私の方が知識があるんだから、いう事を聞け」では振り向いてくれませんよ、患者さんって
まとめ
今回は【患者さんに裏切られないための方法】というテーマで記事を書いてみました
よーするに【自分を客観視して、考えてみようね】【ちゃんと信頼たりえる根拠を見つけようね】ってことを長々と書いただけでした
裏切られるのは辛いですが、裏切られる看護師も悪いよねってことで今回の記事を閉めようかと思います
またね!
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