「なんもしてないけど、なんか退院した」精神科救急病棟で思った若き意識低い看護師気づき

「なんもしてないけど、なんか退院した」精神科救急病棟で思った若き意識低い看護師気づき精神看護の実践

どうも、意識低い看護師のはむです


私が年数の浅い精神科看護師であった頃(今でも決して年数を重ねているわけではありませんが)、そして精神科救急病棟に配属になりたての頃によく感じていたことがありました


「なんもこの受け持ち患者さんに個別性のある看護的な何かを提供した覚えはないのに、なんか良くなっていってなんか退院していった」


くっそ意識低いですね

この言葉見た看護師さんはどう思いますか?「看護師の姿勢としてどうなんだ!看護師失格だろ!」って言われちゃいそうですね


今回はそんな内容の記事について書いていこうかなと思います


※私の経験談を以下に語りますが、個人情報保護のため創作を交えて話していきます。フィクションだと思っていただければ結構です。ご了承ください。

目次

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療養上の世話しかしていなかった



当時、療養病棟から精神科救急病棟に配属になった私は、もうメンタルぐずぐずでした

「慣れねえ・・・患者さんコロコロ変わってく・・・入院めっちゃ来る・・・患者さんの訴えの質がマジ対応困難・・・ってかマジ精神看護について勉強不足でしたすんません・・・」

なんて思いで働いてまして、その状態が3か月くらい続いたんですよね

そんな思いを抱えながら日々働いてて、自己肯定感は新人看護師時代に逆戻りして激下げ、病棟に入るだけで不安は亢進し立ち止まってしまうため、すぐにベンゾに頼る系看護師でした

そんなメンタルぐずぐずで視野も狭く、当然患者さんの事なんか看れていませんでした

だもんで、食事、排泄、入浴、更衣、服薬管理、入院受け、カンファなど、どの患者にも普遍的に行われる、療養上の世話的な業務で手一杯でした


ようやく3か月くらいで何とか業務も覚え余裕が出た時に、救急病棟で初めて受け持った患者さんの退院が決まったんですよね

入院数回目の双極性障害の患者さんでしたかね。

そんな時に思ったことがタイトルの「なんもしてないけど、なんか退院した」だったんですよね


「看護師さん、私に何かしてくれたっけ?」


んで、受け持ち患者さんの退院日に、ターミネーションを行いました

※ターミネーション:治療的関係の終結の時に行う看護学校で習う所は習うアレ。患者、看護師同士で、将来はこうなってほしいとか、こういう所が良かったとか伝え合うヤツ。未だに私はよくする


受け持ち患者さんに私は聞くわけです

「私のどのような所が良かったですか?」

何もしていないけどな、と心の中で思いながら


すると患者さんはこう答えてくれました

「看護師さん、私に何かしてくれたっけ?」

やっぱりなー何もしてなかったからなーと思いつつ、患者さんの言葉は続きます

「私にとってはそれが良かった。たまに話を聞いてくれるだけで、私はそれで十分だった。何か提案されても私にとっては苦痛なだけだし、押しつけがましい関わりは私にとって必要なかった。だからあたしにとってはそれが良かった。私に必要だったものは治療環境とあの時の事を振り返る時間だった」

私は首をひねります。

【それが良かった?どういうことだ?放っておいた方がよかったってこと?】

そしてまだまだ患者さんの話は続きます

「ただ、それがどの患者さんにも良いとは到底思えない。放っておいて欲しい人もいれば、関わりが必要な人もいると思う。その辺を見分ける必要はあるんじゃないかな?私は自力で回復できるけど、回復できない人もいると思う。そこは見る必要はあったんじゃないかな?見てると思えなかったけどね」


それからの話の流れは覚えていません。んでもこの患者さんとのこのシーンは今でも鮮明に覚えているんですよね。あまりにも衝撃的過ぎて。

患者自身が自分で立ち直ろうとする力


当時、精神科歴2~3年の私は「看護師は患者さんに必ず何かの対応を行わなければいけない」ってなんか勝手に思い込んでいたんです

いや?違いますね

「看護師は患者さんになにかしてあげなければならない」っていうクソみたいな思い込みがあったんですね

でも、目の前の患者さんは何もしなかった自分の対応が良いと述べた

もう大混乱ですよね

あれ?俺じゃあ何もしなくてもいいの?それって看護師がいる意味ある?あれ?俺の存在価値は?

みたいな思いでぐーるぐるしてた覚えがあります



【人って自分自身で立ち直れる力がある】ってだけだったんですけどね

勿論患者さんにもその力はあります。お薬の力を借りてという患者さんは多いですけどね。


んでも【患者さんにしてあげる】という患者さんを通した自分しか見ていないって観点ではとてもとても【人って自分自身で立ち上がる力がある】なんて当然のことに気づくことはできませんよね

この時はたまたま余裕がなくて何か看護を提供しようだななんて思いもしませんでしたが、【患者さんにしてあげる】って視点は自分がしたい看護しか患者さんに提供しようとしていないですしね


【あえて何もしない看護】


そこで精神看護の【あえて何もしない看護】という価値観を学ぶことが出来たわけです


看護師の介入は患者さんを必ずしも患者さんを維持・好転させるわけではありません

身体科でもそうですよね?出来るだけ患者さん自身でしていただこうという視点はあると思いますが精神看護でも同じです



患者さんも一人で振り返る時間が必要な方もいます

依存的な関係を求める患者さんに対し、距離を置く必要のある方もいます

自分で立ち上がろうと努力している人もいます

見守っていて欲しいだけの人もいます


そんな患者さん達に対して【あえて何もしない】という看護がある

それで好転しなかったときに、援助を行う看護がある

その患者さん自身の【回復力】もアセスメントしながら精神看護を行っていく必要がある



上記の経験は失敗体験でしたが、そんなことに気づけた良い機会でしたし、今でもこの経験を大切にしながら日々精神看護に従事しています


まだ年数の浅い看護師さん、それに看護学生さん

ふと振り返ると、もしかしたら【患者さんにしてあげる】って目線で動いているかもしれませんよ?

んで息詰まった時に【あえて何もしない看護】という選択肢を用意すると、もしかしたら状況は好転するかもしれませんよ


この記事がそんな気づきにつながればいいなあって思って今回は書いてみました






では!


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