こんにちは、意識低い看護師のはむです
さて、いきなりですが看護業界にはこんな言葉がありますよね
看護観
ってやつ
この【看護観】っていうワードに悩まされている看護学生や若手看護師は多いんじゃないでしょうか?
学校や職場から
「看護観について述べろー!」
「看護観について提出しろー!」
「看護観について皆の前で発表しろー!」
みたいなことを言われて嫌になっている方も多いのではないでしょうか
そんな人によっては身の毛もよだつくらい嫌いなワードである看護観ですが
看護観って看護師に必要なのか、必要でないのかについてこの記事では書いていこうと思います
目次
看護観って何?
まず、看護観って何?って話しですが結構看護観について言語化できていない看護師さんも多いんじゃないでしょうか
別のサイトから引用させていただくと
看護観とは看護師が持つ「看護とは何か」や「看護師として患者にどのような看護をおこなうのか」などについての考え。引用:医療のミカタ
という考え方のことを言うそうです
意識高い雰囲気出てますよね
こんな面倒くさい書き方するから嫌われるんだよと思いますが、そのことはおいといて
看護観と言うワードは
【自分の看護師としての信念】
【自分の看護師としてのテーマ】
とも言い換えることが出来ます。こっちの良い方の方が分かりやすいじゃないんでしょうか
看護観って必要?不必要?
このブログを見てくださる方は
私が意識低い看護師であることはある程度理解してもらっていると思うので当然「意識低い看護師なんだし必要ない!とか言うんでしょ?」って期待してもらってるかもしれませんが
私は看護観は必要だと思っています
「意識低いなんて嘘じゃねーか!意識高いじゃねーか!嘘つきー!」って怒られそうですが
中堅看護師が意識低くいられるのは自分の看護観をはっきりとさせているためであると思っています
意識低い看護師についてはこちらの記事を参照してください
看護観とは看護師のために存在しているものだ
看護観があった方が看護楽しい上記に書きましたが、看護観って【信念】や【テーマ】と言い換えることが出来ます
そんで思うのですが、社会人として仕事を行っていくにあたって自分の信念やテーマがない状態で働くのってつまらなくないですか?
信念やテーマを持たない状態って目の前の業務を淡々とこなしていき状態じゃないかと思っているのですが、それって楽しいですか?やりがいあるんでしょうか?
たまに看護の仕事を【ベルトコンベアーといっしょ】と言ってしまう人がいますが、そりゃあ淡々と業務をこなしていく日々を送っている看護観の無い看護師さんならそう表現しても仕方がないのかな?と思います
「それでもいい、看護師として働くのはお金のためだけなのだから」と主張する人は別に看護観なんぞ要らないのかなと思うのですが、そうはいいつつもそんな自分に疑問を持ちながら働いている人は多いのではないでしょうか。
ある程度信念や働き方・生き様についてのテーマを持っている看護師のほうが楽しく、やりがいを看護のお仕事をできるんじゃないだろうか?
それが私の主張です
私も看護観を持って楽しくやりがいをもって意識低い看護師として働くことが出来ています
自分の信念に従って、患者さんに看護を提供できているわけですからね。楽しくないわけないですよ
知ってました?看護観って患者さんのために存在しているものじゃないんですよ?
看護師のために看護観というものは存在しています
看護師という生き方を生きやすくするためのツールです。別に持っていようが持っていなかろうがどちらでもいいとは思うんですが、持っていた方が楽しいという人種は結構存在するのかなと思っています
あと、看護観って前向きな部署異動の希望や転職にも役立つものです
自分がいる組織に対して「なんかこの職場、私のやりたい看護できねーな」と思ったときに「もっと自分の看護を実現できる職場に行きたいです!!」と胸を張って言えますもんね
「退職するって言いづらいな・・・」なんていう罪悪感も抱くことはありません
また賃金・年間休日・勤務地・勤務形態の他に【自分のやっていきたい看護を提供できる場】という項目を増やせるので結果的にやりがいのある、良い転職先に遭遇できる確率は上がるのじゃないかなあって思います
あくまで看護は患者さんファーストであるべき?
「看護師というものは自分の提供したい看護を行うのではなく、患者さんのニーズに沿った看護を行っていくべきである。従って看護観は必要ない」
わりとこういう意見も目立ったりします。特に意識高い看護師さんがよくこのような旨の発言をするのかなと思います
それに関しては私も同意です。あくまで看護は患者さんファーストであるべきだと私も思っています
でも、その考え方も立派な【看護観】の一種ですよね?
上記の言葉は「患者さんファーストで柔軟な個別性のある看護を提供していきたい」という立派なポリシーであると思うのですが、いかがでしょうか
「いやいや、それは看護師としての当然の姿勢であるわけで・・・」と反論する方もいるとは思いますけど、その看護観を持つに至らない、持てる余裕も無い看護師も大勢いるという事実もありますので、それを「患者さんファーストは看護師として当たり前の姿勢」と押し付けるのは正論と言う名の暴力なのかなあと思ったりします
看護観は自己満足?
「看護観は自己満足でしかない」と主張する方々もいます
自己満足って駄目なんでしょうか
看護師という職業は自己満足してはいけない職業なのでしょうか
自己満足をすると患者さんに良い看護を提供できないのでしょうか
患者さんのニーズに応えることと、自己満足感を得ることって関係ないのでしょうか
確かに独りよがりな自己満足で、患者さんに損失を与える看護師も多く存在するとは思いますが、だからといって看護師が自己満足をしてはいけないという理由にはなりませんよね?
日本人、自己満足と言う言葉を極度に嫌いますが、実はやりがいとか楽しさとか自己実現の欲求とかって【自己満足感】というものが無いと発生しないものだったりします
看護師とか欲求段階に関わるプロなのに、その辺については意外と分かっていない看護師さんは多いのかなと思います
看護師が自己満足・自己肯定したって良いじゃないですか。皆さん自己満足していきましょ。
もちろん、患者の事を考えず、自己満足だけに浸りきった看護師は終わってるなあって思いますけどね
看護観を持てない原因とは
看護観を持っていない看護師には2種類存在しています
【看護観を持たない事を選択した看護師】と【看護観を持てない看護師】です
【看護観を持たないことを選択した看護師】の場合はそれはそれでいいんじゃないかなって思います。
それも一つの生き様です。私にはできないそれはそれでかっこいい生き様だな、とも思っています
問題は【看護観を持てない看護師】ですよね。看護観を持つ、持たないの選択肢すらない看護師のことです
なぜ、看護観を持てないのか、2つ原因があるのかなと思います
それは【看護観を押し付けられた】か【看護観を形成する余裕の無い職場にいるか】なんじゃねえぁなって勝手に私は思っています
看護観は押し付けるものではない
- 看護観を持つことを強要された
- 看護観を押し付けられた
- 看護観について難癖つけられた
こんな経験をしたことのある看護師ってめちゃくちゃ多いと思うんですよね
ポリシーや信念を誰かに押し付ける行為ってナンセンスです
看護観と言うものは誰かに押し付けられたり、持つことを強要されたりするものじゃないよなーとは思っています
看護師同士の討論にすらなってない口喧嘩は現場でもSNSでも日々繰り広げられていますが、概ねこれが原因なんじゃねーのかなと思っています
たまに私に対して自分の看護観を持ってバトルを仕掛けてくる看護師さんのDMとか飛んできますけど、迷惑だなーって思いながら返答してます
自分の看護観を押し付けたくなる気持ちは分かりますが、すればするほど看護観の形成の妨げにはなると思いますので、心当たりのある方は辞めておきましょう
んで看護観を押し付けられた時には「うわあ、なんてこの人は残念な人間なんだろう」と思ってもらえればいいのかなっておもっています
そもそも看護観を形成する余裕などない
そもそも、看護観ってやつはマズローの5段階欲求説に中でいう【自己承認欲求~自己実現の欲求】にあたるものだと私は考えています
んで、この自己実現の欲求ってやつは下位の欲求が満たされない事には生じるものではないのかなって思っています
従ってそれより下位の欲求段階が満たされない職場で生じることはありません。そこで看護観が養われたって人は超すごい人だよなと思いますし、尊敬します。でも養われない方の人間の方が圧倒的に多いんじゃないでしょうか。
下手したら看護師の生理的欲求すら守られない職場も数多く存在していると思います
そんな職場で「看護観を持とう」なんて言われても全く心に響きませんよね
若手看護師に看護観を持ってももらいたいと思うのならば、看護観について伝える前に余裕を持って看護を展開できるような環境を提供するのが先なのかなぁと思ってしまいます
もしかしたら転職を考える時期なのかも?
3年以上職場にいて「ああ、看護楽しくないなあ、毎日思考停止で働くのは辛いなぁ」って思う方はもしかしたら、部署異動や転職を考えるときなのかもしれません
今一度、自分がどのような看護をしたいのか、どんなことに興味があるのかを改めて考え直すいい機会なのかもしれませんね。
まとめ
今回は【看護観って必要?不必要?】ってテーマで記事を書いてみました
近年、看護観があるというだけで叩かれる、そんな時代になってきています。
柔軟な考え方は必要だと思いますし、看護観を持たないという生き方もありだとは思いますが、看護観を否定するのはちょっと違うでしょと思う今日この頃です
またね!
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